2010年4月20日
ワジリスタン紛争
パキスタン北西部のワズィーリスターン(ワジリスタン)を含む連邦直轄部族地域および北西辺境州、アフガニスタン・パキスタン国境(デュランドライン)地帯で発生した、パキスタン政府及びアメリカ合衆国を始めとする不朽の自由作戦参加の有志連合諸国と、ワジリスタンに潜伏するターリバーンやアル・カーイダ等の武装勢力、それを支持する現地部族勢力との戦いの総称。
2009年2月3日、NATOはカイバル峠の補給ルートを切断し、別ルートからの輸送に切り替えた。2月16日、パキスタン北西辺境州政府は、同州マラカンド地域のターリバーンとの間で和平協定を結んだ。協定では、同地域からのパキスタン国軍の撤退及びイスラーム法(シャリーア)の導入などで合意。事実上、マラカンドとスワートにおいてターリバーンによるイスラーム法導入を認めた。この協定は欧米諸国やアフガニスタン、インドなど周辺諸国を含め「過激派に降伏した」として、国際的な非難を浴びた。
ターリバーンは、同地域でシャリーアに則った独自の統治を開始し、男性の髭を剃ることを禁じ、ヴェールの着用の強制、女子の教育を禁じて女子校を破壊した。イスラーム法に違反したとされる者は、ターリバーンのメンバーにより、「ムチ打ち」や斬首などの私刑を受けた。
ターリバーンは、イスラーム法地域を拡大し、周辺のバンヌー辺境地区にまで支配域を拡大した。4月20日、バジャウル管区スワート地区の中心都市ミンゴラで、「イスラーム法強化運動」(テフリーケ・ナファーゼ・シャリーアテ・ムハンマディー、TNSM)の指導者スーフィー・ムハンマドが支持者に説教を行い、民主主義がイスラームに反するとし、今後、裁判官、弁護士、政府派のウラマー協会などは、「反逆者」だと語り、4月23日までに全ての政府から派遣された裁判官は、同地域から出ていくよう警告し、 出て行かない場合は実力行使に出ることを表明した。またターリバーンは州政府と合意されたブネール地区からの撤退に応じず拠点を築いていた。
4月22日、ターリバーンはスワート地区に隣接するシャングラ地区を無抵抗で制圧し、首都イスラーマーバードに迫る勢いで勢力圏を広げた。26日からパキスタン軍は、ブネール地区とロウワー・ディール地区に対する攻撃を開始した。28日、パキスタン軍はディール地区を制圧したと発表した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ワジリスタン紛争、早く完結し平和が戻るといいなと思います。
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